映画「ティーンエイジ・カクテル」 感想
ティーンエイジ・カクテルという映画を見た。
あらすじ↓
転校生のアニーは、高校で美しいダンスを踊る少女ジュールズと出会い意気投合、互いに惹かれあっていく。ジュールズは閉塞的な地元から抜け出し、ニューヨークでダンサーになる夢を叶えるために、アダルトライブチャットで金を稼いでいた。彼女に誘われてアニーもライブチャットを始めるが、そのことが学校にばれて呼び出しを食らってしまう。切羽詰まった二人は、親に知られる前にニューヨーク行きの計画を決行すべく、ネットで売春相手を探して残りの資金を稼ぐことに。募集に食いついてきたのは、フランクと名乗る中年の男だった。妻子持ちで、プール清掃サービスで働く彼は、見栄を張って身なりを整え、金持ちのフリをしてアニーとジュールズを迎えるが……。
(出典:ジョン・カーチエッタ『ティーンエイジ・カクテル』2016年 - qspds996)
filmaeksとかいろんなレヴューサイトで散々な叩かれようだけど、
(映像が結構カワイイ、流行りの感じなので、「ひたすらカワイイ」評は多く見受けられた、たしかにソフィア・コッポラとか好きな人はハマるかも)
わたしにとっては、物語の本筋には関係なく、若者の身の上を過ぎ去る青春の痛ましさが胸に迫る映画だった。
⑴シーンのさりげなさと緻密さ
主人公の二人は、閉そく感の強い田舎町で、美しく輝かしい瞬間を浪費しているという焦燥感を抱きつつも、体当たりで一瞬一瞬を生きていく。
その瞬間を切り取ったシーンが、ただ眩しい。
主人公のふたりが喫茶店?ダイナー?でカロリーのたかそうな飲み物を飲みながら「限界…」って笑いあってるシーンは最高だった。
ふたりとも若くてみずみずしい青春のオーラを放っているけれど、退屈でうらぶれた身の回りの環境をそれぞれ違うレイヤーで見つめている。
ジュールズは同年代の女の子たちの大半が持っている、家族からの無償の愛に心底飢えていて、「誰からも愛されていないのでは」という強迫観念を常に抱いてるし、
アニーは美人なジュールズに対し強い憧れと対抗心からくる執着がいつも心の中に渦巻いてる。ジュールズはアニーの執着心に依存している。
そしてふたりとも、ニューヨークという街が自分たちのコンプレックスを全て裏返してくれると信じきっている。
(ニューヨークへの憧れの原動力となる二人のそれぞれのコンプレックスがさらりと作中に盛り込まれていて、きちんとつじつまが合わせてあるのも気に入ったポイントだった。)
こうした二人のコンプレックスや関係性が、シーンを重ねるごとに緻密に印象付けられていく。
話は変わるけど、
ティーンの頃って、もちろんイケてる男の子と遊びに出かけたりステキな雰囲気になったりすることにも憧れるけど、同じくらい、「自分と近い存在のように感じてる(ここが重要ポイント)憧れの女の子」に対して異様な執着心をもつものだなあと、変なところで共感した。
だから、アニーがジュールズの破天荒さに背伸びしてついていこうとしてるところも愛しかった。レジにあるアメを全部盗んだり、夜中にお酒を飲みながら男の子たちと裸で騒いだり。そして彼女はジュールズと過ごしているうちにみるみる美しくなった(ように私には見えた)。
恋のような、嫉妬のような、あの感情をうまくことばで表現することができないけど、そういえば最近読んだパヴェーゼの『美しい夏』に出てきたジーニアとアメーリアの関係も似てるかな。憧れられてる女の子の方も、憧れてる方の女の子に依存してる感じがなんとも。
(こうして好きな作品の共通点を書きつらねていると、自分の趣向の偏りに自覚的なつもりでいて、実はすごく無自覚なのだということにいつも気づかされる…)
⑵ささやかな「都市」の表象としてのアダルトサイト
ある意味、作中に登場する出会い系サイトは、彼女らを地縁血縁の結びつきから解き放つ一時的な「都市」だったのかもしれない。
サイトを通じてしがらみのない開放的な「都市」へと開かれた彼女らの姿は、おそらくニューヨークに出奔した彼女らの姿でもあるのだろう。
たとえニューヨークへ行くという夢が叶ったとしても、都市はサイトと同様に、ただふたりの若さや美しさを消費し、凡庸とした夢と希望しか持ち合わせない彼女らを蝕んでいくだろうことは、あの映画を一通り見れば自明だろう。
⑶過ぎ去る青春の悲痛さ
輝かしい主人公たちとは対照的に、この映画に出てくる他の女たちはひどく疲弊して、それぞれの「青春時代」を引きずったまま、ひたすら何かに失望しているような表情をしている。
アニー母親も、直接は登場しない蒸発したジュールズの母親も、そして主人公二人を買春する中年男の妻も、身の上を過ぎ去った青春につけられた傷跡を背負って生きているように見えた。
こうした大人たちの存在が、過ぎ行く青春の悲痛さを、これ見よがしに視聴者に訴えかけてくる。ここまでしなくてもいいのにと思うくらいに。
そう、これは残念なポイントでもあった。
私の個人的なこの映画の残念ポイントは、
一つはあんなに過激な結末にする必要があったのか?という点。
もちろんこの映画が描きたかったものは、きっと物語の本筋に関係ない部分なんだろうなということがわかったので、わたしは結構気に入ってるけど、最後のきわめつけであそこまで衝撃的な展開を持ってくることもなかったんじゃないかな?
まじで怖すぎてクッションで顔を隠しながら観たんですけど…笑
二つ目は、親に同情しすぎな点。
少女二人の青春を、彼女らの目線だけで淡々と綴って欲しかったかな。
物語の中盤で、変に彼女らに翻弄される親とか先生の視点が混じっているので、ちょっと不穏な気持ちになる。
(どういう視点で物語を解釈すればいいのか迷いが生じるという意味で)
周囲の大人を描く際も、徹底して少女たちの目線で、客観的に描いて欲しかったな。
とまあ色々書いたけど、この映画をこういう視点で見てしまうのは、
田舎で青春時代を過ごした自分自身が共感しているからなのか…
身の上を過ぎ去ってしまった青春につけられた傷をわたし自身も抱えているからなのか…
同じようなポイントで共感した人はきっと楽しめるはずです。
最後まで読んでくださった方、ありがとう。